京都こみち日記

こみちを歩く こみちに迷う 日々のこと

懸想文

  ほんまの新春のお慶びを申します。春の日の陽光の下を散歩がてらぶーらぶーらと歩いている節分祭にお参りした人たちの顔が、ひときわ明るい。近隣の、吉田さんとか平安神宮とか荒神さんとか熊野神社とか聖護院とか蘆山寺では節分祭が行われている。その中の一つ、須賀神社の節分祭では、今もほんまにこの絵柄のいでたちをした懸想文売りが、境内で懸想文を売っている。なんでも懸想文とは恋文のことで、平安時代の貴族の女性は、この懸想文売りに恋文を代筆してもらい、想い人へ届けてもらったらしい。今はこの懸想文が、縁結びや、おべべに困らないようにとか、べっぴんさんになるように、とのお守りとして授与されており、手にする女性たちの顔も嬉々として光り輝いている。ご利益ありそうやなぁ。ちなみに今年わたくしが買い求めたのは懸想文ではなくて、便乗商品の懸想餅。