京都こみち日記

こみちを歩く こみちに迷う 日々のこと

笛、様々

 思いがけなく数管の笛を同時に吹いているお蔭で、一管一管が奏でる音色がそれぞれ全く違い、とても個性豊かだということをつくづく実感するこの頃。調子が違うと当然音階は違うし、古典調と改良型(西洋音階に近づけてある)も当然違う音階なのだが、例えばそれが同じ六本調子の笛であっても、平気で半音階くらい違う。それに音階だけでなく音色も様々で、低音は豊かに響くが、高音は出しにくく、素朴な感じの歌によく合う音色の笛もあれば、逆に低音は出しにくいが、高音は出し易く、瞬く星やキンと引き締まった空気によく合う音色が出る笛もある。同じ調子の笛とは信じ難いほど全く音色が違う。
 自然界に自然に存在しているモノは、それが普通なのかもしれない。竹はただ、その竹のままで在るだけで、吹き手の人間の方があれやこれや吹き方を工夫したり練習したりして、その笛の個性を最大限に引き出し、選び、それに添って合わせてゆく。その行為が痛快だ。音色麻薬のようだ。
 おまけに例えば、沖縄の島の笛の名手は自作の笛を何十管も持っていて、歌い手の声の音階や声質や歌の雰囲気などを聴いて、それに合わせて即座に一管の笛を選び出し、それで歌に添うように伴奏をするそうだ。なんたる賢い耳と判断力だろう。聖徳太子どころではない。こんなふうに、竹も人間も音も声も空気も光も何もかもが渾然一体となって、楽〜という境地に身をおいてみたい。そこが、彼岸?