『神去なあなあ日常』
町育ちの若者が山奥で林業に就く話、ときいて興味が湧き、かなり久しぶりに小説を読んだ。わたくしにとっては実体験に近い出来事や感じた事も多く、うなずいたり、笑ったり、呼吸が荒くなったり、お尻の筋肉が縮まったりしながら、読了。
著者の三浦しをんさんは実際、山女(やまおんな)なのだろうか?初めて読んだけど・・・。特に山での感覚の表現は、すごーく共感した。例えばp92
>> 枯れ葉が積もった地面はふかふかだ。水分と養分をたっぷり含んでいることが地下足袋ごしに伝わってくる。
夢みたいな場所だった。こんなところが、神去村にあったなんて。なにをしに神去山へ入ったかをほとんど忘れ、俺はうっとりしながら歩いた。あー。もうずっとここにいたいなぁ。
ついに薄闇が森を覆い尽くし、巖さんが懐中電灯をつけた。
やばい、やばい、フヌケてる場合じゃねえよ。ずいぶん長く森をさまよった気がしたけど、それは一日の最後の日が山に射す、わずか十分ほどのことだった。当然、獣道はまだ神去山の中腹にすら差しかかっていない。時間感覚が完全に狂ってしまっていたんだ。
これが山の魔力か。乱暴者のヨキですら信心深くなり、神域に入る際には身を清める理由が、ちょっとわかった気がした。理性や平地での常識では測りきれない山の不思議に、びびったけど、同時に楽しさも感じた。めちゃくちゃな部分と、だれかが紡いだみたいに整然とした部分が、複雑に入り組んでいる。・・・<<
この混沌の中の秩序、冷静と情熱の間のバランスがなんともいえず、肌に合う。
泣いているヒマなんかない、考え込んでいるヒマもない、一瞬一瞬の事実を観察し決心して、応分のことを淡々とやっていくだけだ。その繰り返しが100年先、200年先まで続くというだけだ。その中で、わたしがどう感じるかなんて、どうでもいいことなのだ。