京都こみち日記

こみちを歩く こみちに迷う 日々のこと

 若い仙人たち

 わたくしごときを仙人とは呼べない。なぜなら、わたくしの学年(約25年前)以降は、山の生活でも文明の利器を多用するようになっていたからだ。テントはゴアテックス素材になったし、煮炊きや照明もガスカートリッジを使った火でとるようになった。フリーズドライ食品もちらほら出始めていたかもしれない(使った事無かったけど)。靴も軽登山靴を履いていたし、ザックもナイロン素材を使っていた。なので、わたくしのことは立派な文明人の山ガールと呼んでもらいたいものだ。
 より仙人に近い、ほんの2,3学年上の先輩までは、まず、テントもザックも異状に重かったようだ。いわゆる帆布素材でできており、畳んだとしてもカサもめちゃめちゃ高い。我が部では「フルーツテント」(フルーツの香りがする)とか「ババテン」(想像通り)と呼ばれていた類のテントだ。おまけにテントやフライシートの支柱もペグも金属製で超重く、これらを自分の荷物に入れる係りの人は、個人の荷物を入れる余地がほとんどなかったようだ。
 火は、ガスではなくガソリン?いや、灯油?を使う。その道具のことは、ホエーブスと呼んでいた。同期の男子が「おい、こみち!そこのホエーこみち、とってくれ!」などとぬかすので、よく大喧嘩したものだ。これも本体は金属製で中身は液体なので、重いのなんのって。わたくしは触らせてももらえなかった。
 某他校の山猿の中には、白いエナメルのチンピラ靴で山の試合に出て、堂々優勝していた先輩もいるそうだ。このケースは選手層の厚い北桑田高校に限るのだが、ヒマラヤにでも履いていきそうな重〜い革靴を穿いている人はまだ結構いた。もしくは、地下足袋
 ニッカポッカ(膝下がすぼまった山行用ズボン)は、まだウール素材しかなく、股ズレをおこす人が多発していた。あれは、強烈にチクチクひりひりと痛いらしい。仙人への道はかくも厳しいのである。