京都こみち日記

こみちを歩く こみちに迷う 日々のこと

古武術講習会受講記

 甲野先生の稽古会へ参加。先週に引き続き、しの笛を演奏する時の身体の使い方で、何か参考になる動き等があるかと思って。今回も身体の一部分を力づくで使う場合(日常はこれがほとんど)の効率の悪さを実感したし、ちょっとした指の使い方一つで身体の動きや力の入り方がみごとに変わることを体験することができた。身体ってつくづく精密にできているし、身体を使うのってほんとに楽しい。それに身体は一生もんだ。適度な使い方をして、死ぬまで仲良く付き合っていきたい。
 それにしても、わたくしは若い頃はスポーツをしていたし、今もよく歩いているし、簡単なストレッチ体操などもしているので、割と体幹は使えているのではないかと自負していたが、それは大きな大きな間違いだった。その証拠に受け身(のような動き)や前転(のような動き)をするだけで、フラフラ〜クラクラ〜とした。全身のバランス機能を使っているわけではなかったのだなぁ。そういわれてみれば小学生の頃は毎日のように、鉄棒で足を抱えてクルクル回り続けたり、スカート回りをしたり、連続逆上がりだって、平気で何回もしていたが、ここ数十年は全然やっていないからなぁ。身体の機能は使わなければ衰えていくし、力づくで筋肉を使うから痛んで固まっていくのだということを実感した。かといって、もう鉄棒でスカート回りはしないが。電気や石油が無いころは、古武術に限らず日常のことをなんでも身体を使ってやっていたから(例えば薪割りとか拭き掃除とか)、自然と体幹が使えたのだろう。今は便利にはなったけど、その分身体をなまけさせて、衰えさせている上に酷使しているだけだ。まさに善意の敷石は地獄へとつながっている。あと、甲野先生の「気にしない」という一言も琴線にふれた。気にするということは、頭を力づくで使っているということなのだろう。