京都こみち日記

こみちを歩く こみちに迷う 日々のこと

便秘の効用2

 特に日々の体調に影響するほど便秘で悩んでいるという訳でもないのに、なぜこれほどまでに大きなお便りのことが気にかかるのか、よく考えてみたら、、、幼少のみぎりの便秘体験に思い至った。多分、幼稚園に行くか行かないかというくらいの年齢期。ウチのお手洗いは、同居する祖母の足が不自由だったため、既に40年以上前から洋式便器であった。他の生活様式はさておき、便器だけは割りとハイカラである。まぁ便器のタイプはどっちでもいいのだが、思い出すシーンは、その洋式便器に一人で座り、青い顔をしてうーーーん、うーーーんときばっている幼き自分の像。それにその時感じた肛門の痛みまでもが伴う。あれは、辛かった。おまけに頑張った末やっと出た、と思っても奈良で見た鹿の糞ほどしか出ていない。これにもガッカリした。このような幼児体験がちょっとしたトラウマとなっているのかもしれない。しかし、もうこの便秘の辛さは嫌だという思いがベースにあるお蔭で、成人してからは、大きなお便りの出具合でも自身の体調を観察する習慣がついたのだと思う。中年である今となっては、自信をもって理想とする大きなお便り像がイメージできるし、実際その大きなお便りを出すべく、栄養・運動・休養のバランスをとり、安定した日常生活を送れているのだと思う。便秘の効用は、40年の時を超えても、確かに、ある。じわじわと、効いてくる、のだ。サンキウ。