京都こみち日記

こみちを歩く こみちに迷う 日々のこと

細胞の記憶−表現のかたち/しょうぶ学園展

 その行いは、創作ではない、表現でもない、作品でもない、目的も、意味も、達成感も、計画も、策略も、思惑も、理由も、好き嫌いも、無い。
 ただ、細胞の記憶がそうさせるだけ。それで、今が、足りている。
 
 京都造形芸術大学イベント情報 

 笛もこんなふうに吹けたらいいなぁ。音は、形にも残らないから、保管場所もいらず、まさに「細胞の記憶」に残るのみ。このタイトルもすこぶる切れがいい。