京都こみち日記

こみちを歩く こみちに迷う 日々のこと

今、華のひと「藤原道山」(尺八演奏家)

 本日の京都新聞夕刊に掲載された、京都新聞×月刊なごみコラボレーション企画のインタビュー記事より抜粋
  「月刊なごみ」発行所 淡交社

 文中の「尺八」を「竹笛」に置き換えても通じる。共感の嵐が巻き起こったので、保存。先日読んだ能の稽古についても同じような内容があった。和ものには共通する何かがある。
 

・・・略・・・楽器って、琴にしろリコーダーにしろ上手い下手は別にしても音は出るじゃないですか。ピアノだって鍵盤を叩けば音は出ますよね。
 でも尺八は音が出ない。それで一週間試行錯誤していたら、やっと音らしきものが出た。そこからもう少し我慢強く続けていくと、今度は少しずつ曲のようなものが吹けるようになってきた。そのうれしさの積み重ねが、僕を尺八にのめり込ませていきましたね。
・・・略
〈具体的に、尺八はどう難しいのですか?〉
 尺八はエアリード楽器といって、歌口(吹き口)の部分に息を吹き込むことで空気の振動が起こり、音がでる楽器です。リコーダーには歌口に切込みがあって空気の軌道をガイドしてくれるので簡単に音が出るのですが、尺八はこの軌道を自分で作らなくてはなりません。これが難しい。
 うまく言葉では表現しづらいのですが、感覚として小細工して意図的に吹こうとしても絶対音は出ない。この楽器に対してどういう風に息を吹いたら音が出てくれるのか、大げさですけど、楽器にお伺いをたてながら吹いていく―そんな感覚なんですね。
 それで向こうが「そうだよ」となったら音が出る。尺八の吹き方は、尺八が教えてくれるんですよ。

人間国宝の故山本邦山氏に尺八を習っていらしたんですよね。〉
 はい。大らかでとてもフランクな方でした。稽古のときも細かい事は何もおっしゃらない。だから先生がどういうふうに演奏しているのか、五官をフルに使って、その技術を盗んでいく―稽古中はそんな感じでしたね。細かい動作を分析するのではなく、トータルで身体に取り込んでいくんです。
 そうして先生の演奏を自分のなかに取り込んで、今度は自分で真似てみる。これはお茶の稽古にも共通しているのかもしれませんが、先生の手本をボーッと見ているだけの人に上達はあり得ませんよね。逆に五官で感じている人は、たくさん吸収しているのでどんどん上達するんですね。
・・・略・・・

〈尺八を知るためにはどうしたらいいですか?〉
・・・略・・・
 まずは生の演奏を聴きにきてくださるのが一番いいですね。動画サイトだと切り取られた画面をみているだけなので、あれでは音色も会場全体の雰囲気もなかなか伝わらない。
・・・略・・・
あと、深い呼吸を必要とするからでしょうか、吹いていると自分の声を発しているような感覚になります。私は尺八を吹いているときのほうが体調が良かったりします。身体の一部というか、自分に嘘をつけない、とても素直な楽器、それが尺八です。・・・略・・・