京都こみち日記

こみちを歩く こみちに迷う 日々のこと

 命名人の思い出

 わたくしの命名人である、ごとさんのおっちゃんは、わたくしのことを孫のように可愛がってくれた。

 
 ごとさんのお宅でおばちゃん(おっちゃんの妻)とともに母がお茶お花の稽古をしていたので、わたくしはしょっちゅうお稽古場に出入りしていた。花体を説明するのに使う黒板にチョークで落書きをするためである。
 おっちゃんは「つるニは○○(めがね)ムし」や「かわいいコックさん」などの一筆書きを教えてくれる。さすが、日本画家である。ムダがない。
 「いろはにほへと」も教わった。お蔭で「あいうえお」より先に「いろはにほへとちりぬるを」が空で言えたし、書けたのだ。当時としては、天才的な5才児であった。ただし、意味は習っていない。

 
 ほかにも、でこ相撲(おでこ同士をぐりぐり押し付けて相撲をする)をし石頭ぶりを自慢したり、背中に指圧(これがまたセリフ付きで、首の付け根から順に「一力(いちりき)、二力(にりき)、三力(さんりき)、四りのあなーっ(尻の穴)」と尻までの四ヶ所)をするとみせかけて、こちょばったりなどの遊びをしていた。お花の稽古に来ていたお弟子さんたちはさぞかし邪魔だっただろうが。
  

 それに、小学校入学を祝って、学校に畳二畳ほどもある巨大な絵を寄贈してくれて、体育館の舞台に向かって左上に掛かっていた、らしい。らしい、というのは、当時はごとさんのおっちゃんが画家だということさえ、露とも知らなかったのである。だーれも教えてくれなかった。
 しかしここでおっちゃんは画家としての本領をやっと、充分に、なおかつ私には知らせずに発揮してくれていたのだな、と思うと胸が熱くなる。