京都こみち日記

こみちを歩く こみちに迷う 日々のこと

新春〜

 
 疎水脇に植えっぱなしの水仙も、ちらほら咲きはじめた。

 明らかに年が改まる頃の(旧暦ね)気配に包まれた、本日如月一日。痛快なほど、空気感が一変した。近隣の吉田さん(神社)、清荒神さん、熊野神社須賀神社、廬山寺等では、節分会の準備が着々と進んでいる。ほんとにほんとの新春だ〜。
 しかし各地で難儀されている、雪下ろしや灰掃除や鳥インフルエンザ関連の作業などをテレビで見ると、こんなふうに温かい部屋で力も使わずパソコンのマウスをクリックしていることのその意味や価値を、思わず問うてしまう。なんの足しにもなっていない。かと言って今すぐ現場に駆けつけても、スコップ一つ振えず足手まといになるだけだ。このやるせなさ。以前「やるせない」という気持ちがイマイチ実感できないと言ったが、今回感じた気持ちを、やるせない、と表現するのかもしれない。
 それにしても世界中で起こっているこの現象、自然や宇宙から何らかの伝言であることは、明らかだ。それはびしびし実感する。滅亡への第一歩か、はたまた浄化して生まれ還わるのか。