京都こみち日記

こみちを歩く こみちに迷う 日々のこと

 節分祭へお参り

 今日はまず事務所の地元の須賀神社へお参り。
 この懸想文売りが立ち売りしている「懸想文」をタンスの中に入れておくと、「顔、姿かたちがよくなり、着物が増える」という宣伝文がそこここに筆書きされている。思わず買ってしまいそうになったが、よく考えると今以上のことを望んでいるわけではないので、思い留まった。しかしこの懸想文売りのいでたちはたいそうおもしろく、握手してもらえばよかった。今でいうゆるキャラみたいな感じ?
 「懸想文」をタンスの中にしまう、というシステムも、丁度新月にあって、いかにも願いが叶いそう。いや叶うこと必至。科学的に証明なんかされなくても、はるか昔から人はこの宇宙の法則を感じて信じて知って感謝し、今日まで伝えてきたのだな。

 そして向かいの聖護院・五大力さんへ。お不動さんへお参りするのは初めてかもしれない。大勢の山伏がほら貝を吹き鳴らし、薪を燃やし、お坊さんのお経?呪文?がマイクを通して響き渡り、たいそうにぎやか。
 ご本尊さんの前に座っている墨染めの衣姿の、若気の至りの雰囲気ムンムンのお坊さんは、参詣者からろうそく代が自分の前にある三方さんに供えられると、まず「ろうそく、いっちょう〜」(50円の場合)とか「ろうそく、にちょう〜」(100円)とか「ろうそく、じゅっちょう〜」(500円)と景気良く叫び、カ〜ンと大鐘を打ち鳴らす。そして「只今のお供えの施主の、家内安全、息災延命、ナンタラカンタラ、厄除改善、守らせたまえ、南無ナンタラカンタラ大師不動明ドータラコータラ」と早口言葉のように経文?を唱え、「ようお参り、よーうお参りやす」と参詣者をねぎらってくれる。それがひっきりなしだ。
 わたくしはこの一連の経文?を初めて聞いて、最初はなにがなんだかわからないが、笑えて笑えてしかたがなかった。お参りするのも忘れて、お坊さんの傍らでこれに聞き入り、笑いをかみ殺していた。ふ、とろうそく代をお供えする人が途切れると、妙にさみしい気持ちになり、思わず財布から50円を出してお供えしてしまった。いつもは5円か10円なのに・・・。しかし期待通り、「ろうそく、いっちょう〜、カ〜ン!」とはじまったので、慌てて手を合わせて、経文の間中、サンキウ、サンキウ、お不動さんよ〜と唱和しておいた。
 するとなんだかこの経文を覚えたくなってきたので、もうちょっと粘ってみた。後から後からお供えする人は続くが、あいにく何回きいても覚えられない。そこで携帯電話のICレコーダー機能を使って録音し、上記を記録することができたわけだ。自然(神さん仏さん)のパワーと人間社会の文明の利器がうまくかみ合った一出来事だ。新しいシステムの始まりを感じる。