京都こみち日記

こみちを歩く こみちに迷う 日々のこと

竹の音

 京都吉田山大茶会では、能管と笙の演奏もされていた。どちらも初めて間近で音を聴いて、シビレタ〜(鼓膜と細胞の振動)。
 笙の音は、曇りにもかかわらず、天から降り注ぐキラキラした何かの気配が感じられた。
 能管の音は、神殿前の演奏されている場所から吉田山の上にずーっと上がって行って、三頭三角点付近でもよく響き聴こえ、あらためて、竹本来の音は、こういう音か!と衝撃を受けるほど、鼓膜に強く優しく遠くまで響き渡る音色だった。しかし、これほど遠くまで届く大きな音を出すには、さぞかし必死のパッチの形相で演奏しているのかと思うと、全くそんなことはない。演奏者(女性)の演奏中の唇は、涼しげなアルカイックスマイル状態を保っている。同行した笛友も「吹いてるように見えへんなぁ」と言っていた。
 この能管の演奏を見聞きして、またもや自分が今までいかに力づくで、無理矢理音をひねくりだしていたかが、よくわかった。おまけに、もしかしたら「竹」の良い音をわかっていなかったのかもしれない。耳が西洋楽器になれてしまっていて、無意識のうちに、耳では「金属系の楽器」の良い音を思い描きながら、わざわざ竹の笛を吹いていたように思えてきた。金管楽器の音が聴きたいなら、金管楽器を吹けばいいだけのことやのに・・・。せっかく「竹」を吹いているのだから、「竹」のもつ良い音を素直に出せばよいだけだった。こんな単純なことを力づくでなんとかしようとしていたなんて、、、2年半も、、、。
 気づいてみればなんのことはないが、目からウロコが2,3枚落ちた経験だったので、吉田山大茶会へ行ってほんとうに良かった。わたくしが吹いているのは「竹」です、と自分に宣言する。