京都こみち日記

こみちを歩く こみちに迷う 日々のこと

『ボクは坊さん。』白川密成著

ボクは坊さん。 畑部顧問より弘法大師空海の話を拝聴した帰り、タイミング良く図書館の書架に返却されていたものを借りる。著者の密成さんも高野山密教を学んだ若きお坊さん。若いゆえか、現代の生活を送る中で使えそうなお釈迦さんの教えを紹介し、自分の解釈を加えてあるので、うなずける部分が多かった。例えばP159

とはいっても、やはりいくら考えても結論の出ないことも多かった。そんな山積みした選択肢の中で、僕はふと、
「そうだ。ほとんどの判断を“ハッピー?”とひとこと、自分に問いかけることだけで、結論を意外と簡単に引き出せるかもしれない」
 と思いつき、ひとりで興奮していた。あまりに単純で気恥ずかしいことではあるけれど、その瞬間、心から腑に落ちるような気分になったのだ。略・・自分が迷った気分になったなら、「で、ハッピーなの?お前は、それで」と自分に聞こうと思ったのだ。それで、僕自身はスルリといくつかのことに対して、結論を持てると思った。
 単純な快楽の充足に対して仏教がたしなめているのもまた事実だ。
 「快楽の味は短くて苦痛である、と知るのが賢者である」(『ダンマパダ』法句経一八六、部分抜粋)

 しかし、僕は「ハッピーか?」と問いかけることを、快楽の追求というよりは、今の心の状態を自分は喜んでいるのか、ワクワクしているのか、悲鳴をあげていないかと、忘れずに見つめることだと感じているのだ。
 弘法大師はこのようにいっている。
 「朝朝 一たび自心の宮を観ぜよ。自心は亦是れ三身の土」(弘法大師空海『遍照発揮性霊集』巻第一)
 【現代語訳 毎日一度は自分の心の宮殿を観照せよ。自分の心は仏の三身のすみかである】
 その静かな確認作業のような“問いかけ”の時間自体が、僕にはとても大事に思えるのだ。


 まさに、図書館で手にとった瞬間からワクワクし、読み始めからハッピーと感じる本だった。

関連図書
ブッダの真理のことば・感興のことば (岩波文庫)ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)

連鎖図書
つい先日、今一番売れている「片付け術(整理術)」の本の宣伝コピーに「ときめく?」とあったが、この片付け術が言わんとしているのも同じことだと予想される。つまり、この物を所有していてハッピーかどうかが捨てる捨てないの基準となる、ということ。多分。また読んでないけど。