京都こみち日記

こみちを歩く こみちに迷う 日々のこと

體の声

 両肘の間接を親指と小指で押さえながら歩く骨トレをしていたら、今を遡ること30年前の山ガール時代にも、このような恰好で山を縦走していたことを、體がまざまざと思い出した。当時は単に、こうした方が楽やん、とか歩き易いしぃ、と体感したからやっていただけだったと思うのだが、骨ストレッチの先生が言う「體の声をきく」とは、山ガール時代に普通にやっていたようなことかいな!と腑に落ちた。
 逆に言うと、體の声をきかないことには、こんなに貧弱な體で、重い荷物を背負って何日も何時間も山の中を歩き回るなんてことは難儀だったのだろう、ということだ。必要は発見の母というわけだ。そして、これはどう考えても周囲の木々や土や風や動植物、山の神さん方がわたくしの體を通して楽な方法を伝えてくれて、わたくしの心體を守り育んでくれたとしか思えない。お蔭さんで50年近く、心體ともに快楽を追求してこられた。サンキウ。