京都こみち日記

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「新・学問のすすめ」宇佐晋一

 多分、20年程前に発行された、母校の学内通信の中に連載されていた「学生相談室から」内一記事の全文

「学生相談室から」
新・学問のすすめ   宇佐晋一神経科校医)
 「こころが癒される」と聞くと、それは普通の安心以上のものであるかのように魅惑を感じ、究極のこころのあり方に違いないとだれしもが思いこむ。ところが感情はこころのなかでももっとも原始的な現象で、未分化なかたちで奥底から突きあげてくるから、その処理には手を焼き、好ましいかたちに調整しようとする知的なはたらきとのあいだに悩みを生じないわけにはいかないのである。知能は学習と問題解決というすぐれた能力をもっているから、悩みの調整にはうってつけのように思えるが、実際は思いもよらない不調を生じてしまう。悩みは知性で解決しようとして、うまくいかないことから生じた人間らしい現象だということができる。
 学生相談室では、そういう大きな問題にどういう助言をしているかを申し上げよう。人間だけが悩みをもつというおかしな現象は、ほかならぬ知能がかかわりをもっているからである。じつは知能が学習し経験しえたことを応用して、問題解決に乗り出す対象はことごとく外界のものごとであり、精神内界は本来知能の守備範囲ではなかったのである。自己意識内容とくに感情の処理には一切手を出さないで、いきなり学問にとりくむことをおすすめしたい。

 学問に励んでいた悩みなき学生時代に学生相談室を訪れたことはなく、この記事を最初に読んだ20年程前にはわたくしはもう学生ではなかったが、勤め先にこの宇佐先生が居てくださると思っただけで、なぜか安心感を抱いたことを覚えている。だからこうしてこの記事が載っているページだけを切り取り、状差しに差していつでも読める所に保存していたのだ。また東南アジアに留学して帰国後、なぜか剃髪をし、西洋医学病院でうつ病と診断された友人に、宇佐先生が院長をなさっている[三聖病院](昨年末で閉院された)の存在を知らせたこともある。実際お話したこともないのに、宇佐先生も森田療法もいざっちゅうときはきっと頼りになるにちがいないと思っていた。まぁブッダとかダライラマ様とかその辺の神さん仏さんみたいなより所、か。
 以上のような長年に渡る諸々があり、先日1月31日(土)の京都新聞に、三聖病院が閉鎖されるという記事を読んだときには、一瞬心臓が止まりそうになった。一方で宇佐先生がご存命だという事には安堵しつつ、状差しからこの記事を出して何度も読み返した。言い知れない感情が胸の中を交差するが、とにかく宇佐先生のすすめのように感情の処理には手を出さないで、なんとなく悪あがきっぽいかなと思いながら検索してみたら下のサイトにも行き当たった。これを機に紙の切れ端だけではなくて、電子データ上にも保存する。しかしわたくしにとっては、単なるデータ、情報、に留めることは難しい。なんか知らんけど胸がきゅっと締め付けられる。
三聖病院三省会 修養者の集い
京都森田療法研究所のブログ 三聖病院非常勤医師・岡本先生