京都こみち日記

こみちを歩く こみちに迷う 日々のこと

三つ子の魂

 それにしても数年前まではなぜ一見すると薄い唇だったのか、を思い返してみるに、それは通常、唇をキリッと結んでいたからである。普通、口はつむっておくもの、であり、昔から少なくとも我が家では、ポカーンと口を開けているのはアホの象徴とされていた。それに小学校でも、柴田教頭先生が教壇に立たれると、開口一番「口は真一文字」と仰っていた。そして「先生が話しをしている時は、先生の目を見なさい。先生が黒板に字を書いている時には、先生のハゲを見なさい」とご自身の後頭部を指差されるのである。以上のような我が家での躾けや学校教育の成果が、数十年もの間、わたくしの薄い唇に表れていたのである。教育のちから、おそるべし。しかしわたくしの場合は和笛(リードを自分の唇でつくる)をならし出したゆえ、三つ子の魂は45までだった。