京都こみち日記

こみちを歩く こみちに迷う 日々のこと

楽苦

 今日の音楽部ボランティア演奏は、いつものしの笛に中胡(二胡の仲間だそう)を迎え、春の曲を中心に華々しく演奏した。聴衆もまるで合唱団のように大きな声で歌ってくださり、予定していた1時間があっというまで、こちらからお願いして時間延長をしたほど。発表会も近い(4/15大津)ので、なかなか気合いのはいった演奏ができたと思う。
 帰りがけ、元気で長生きにあやかろうと思い、皆さんと握手していると「わたし、91(歳)!」と仰るので思わず「わー、ちょうど私の倍です!」と言うと「そうかー、これから倍いうても、あっというまやで!なぁ!」と周囲から口々にありがたいお言葉がとんできた。そして「倍生きてからもまた来てや!」と無茶な依頼がくるので「来ます、来ますー!それまで生きといてくださいよ!」と無茶を倍返しにすると「生きとく!生きとく!」と倍の倍になって返ってきた。晴れ晴れ。
 それにしても30台までは自分が死ぬとは思い至らなかったので、生き死にの話を妙に深刻にとらえ、あまり気楽に話題にするもんじゃないと思っていたが、最近、自分もいずれ死ぬ確率100パーセントなのだということに気づいてからは、割とフランクに話し合えるようになった。他の生老病とか愛別離苦とか怨憎会苦などについてもそう。誰しもの身の上におこるごくごく普通のことなのだということが、やっと実感されてきた。だからというわけでもないが、20代の若者が「最近、彼と別れて・・」と深刻に話をしても「えー?もう?ワハハ、即行やな!」などと笑い飛ばしてしまい「笑うとこですか・・・?」などと恨めしそうに落ち込まれ、すっかり信用を失っている。