京都こみち日記

こみちを歩く こみちに迷う 日々のこと

化粧に関する履歴[中年]

 若年期は(23-)、終業後にバレー部の練習を手伝ったり、プールで泳いだりしていたので、化粧らしい化粧はしていなかった。cotyのお粉をはたいていた程度。それでも確かに乾燥がヒドイ、と感じた覚えがない。
 やはり乾燥が一気に進んだのは、リキッドファンデーションやクリームを使い出してからかも・・。転職によって大勢の人間(職場の人やお客さん)と顔を合わせるようになったのと、エアコンの風からの保護と証して色々(界面活性剤)塗り出してからだ(34-)。
 そう思うといわゆる一般社会で勤勉に働き出したのは、中年期に入ってから、と言えるかもしれない。新卒時期の就職状況が超売り手市場といわれた中、よく考えてみたら、若干遅めの社会参加であるが、特別よく考える必要はない。それがマイペースということだ。考えずとも、自分をつくる細胞たちの声に応じたまでのこと。まぁ、これも後から理由付けをしたまでの話やけど。
 このようにほぼ全般的には細胞ペースで人生を歩んできたのだが、事、顔と髪に関しては、細胞の声を無視して、一般社会の基準と自分の無知な頭の判断のペースに乗ってきたわけだ。ほんとうなら赤の他人の目や自分の煩悩(欲望)は無視して、まずは淡々と自分の細胞の観察をし、細胞と相談する必要があったのだな〜。
 なんだか話が大層になってきたが、人生を生き抜く術として、お釈迦さんもこんなようなことを言うてはったような気がしないでもないワ。