京都こみち日記

こみちを歩く こみちに迷う 日々のこと

 『考えない練習』

 以前、脳研究者の池谷裕二さんの本と僧侶の小池龍之介さんの本を何冊かずつ読んで、なんだか内容がリンクする部分があるワ、、、と興味深く感じていた所、この『考えない練習』で、なんと、お二人の対談が!キターッ!キタでーッ!と興奮気味に読んで、印象に残った部分を抜粋しておく。長いけど、とり急ぎ。
『考えない練習』小池龍之介著 p207-212より


>>人間に自由な意志はあるのか 
小池 池谷さんの著書を拝読しておりましたら、人は自分の意志で腕を動かしているつもりでも、実は、意識が動かそうと思うより前に、脳から動かすための命令が出ていて、結局、人は脳に操られているだけなのだというお話がありました。
 だから、本人の意識に自由は無いけれど、脳に支配されていることを認識することで拒否権が生まれる。自由意志はないけれど、自由否定はあるのだと。私はそこを読んで、感覚的にとてもフィットいたしました。
 というのも、私が原始仏教の修行でやっているのは、潜在意識の中に既に決められた台本に従って反射が出てくる瞬間に、いかに早く気づくことができるか、支配される前にいかに早く気づけるかという訓練です。そのために集中力が必要になってきます。
 たとえば「イラッとしなさい」とか「緊張しなさい」という命令がハリボテの自我に与えられる前に早めに気づけば、「うわ、こんな命令がきている」と気づくことができる。じーっと集中していると、自分にダメージを与えそうな命令もあれば、良いもの、慈悲深いような命令もきます。それに気づくことができれば、良いものを採用できる。
 そもそも、自分に意識の自己操縦性はないのだと気づければ、へんな命令がきたら採用しない、良い命令がきたら採用するというように、少なくとも選べるようになります。そして、それを続けていると、良い命令が来やすくなってデータベースが増強される、という感じです。
池谷 そのイメージは、何となく納得できるというか、わかる部分があります。科学的な根拠が皆無なので、「良い命令がくるようになる」という大胆なことは、私は書いていないですが、ただ実際には、そうだと思うんですね。
 たとえば一,二年前に、イタリアのある地方で米軍基地を拡大するという話があったんですが、当然、その時に反対意見や賛成意見がたくさん出たので住民投票をすることになったんですね。その時、心理学者が現地で実際に調べたら面白いことがわかった。
 住民投票の一週間前に、「あなたは基地拡大に賛成ですか、反対ですか」というアンケートをとりました。すると一週間前だから、まだ決めていないとか、わからないという人がいた。でもその人たちを調べてみると、一週間後に反対票を入れるか賛成票を入れるかが、その時点でもう高い確立でわかってしまうんですよ。
 なぜわかるのか。いろいろ方法がありますが、最もわかりやすいのは自由連想の方法です。
 たとえば「水と聞いて、あなたは何を思い浮かべますか?」と聞く。水と聞いたら海というかもしれません。海と聞いたら釣り、釣りと聞いたら魚、魚と聞いたらマグロ、マグロと聞いたら寿司...というように瞬間的に思い浮かべるものを次々に言っていくのが自由連想ですね。
 しかし自由連想というのが、これまた不思議なもので、たとえば水と聞いて「聖徳太子」と言う人はあまりいないと思うんですよね(笑)。「自由」なはずだから水から聖徳太子に飛んでも良いはずなのに、実のところ全然自由ではなくて、飛躍できる着地点が決まってしまっているんです。水と聞いたらペットボトルと言う人も、空と言う人も、水泳と言う人も居るかもしれませんけれど、ある一定のレパートリーにしか飛べないんです。
 だから「自由連想」と言うよりも「不自由連想」と言ったほうが良いのではないか(笑)。
 いずれにしても、水と聞いたら何を思うかというのは「反射」ということだと思うんですけれども、脳を研究していると、われわれの行動は、基本的に反射でできていると思うんですね。
 それで、ある単語を聞いたらどう反射するかを調べていくと、その人の「思考癖」がわかってきます。実は、これが答えなんです。
 というのは、そのアンケートから一週間の間に、ニュースを見たり新聞を読んだり人とディスカッションしたりして、賛成か反対かを決めていくわけですが、同じニュースを見ても「だから賛成だ」と言う人と「だから反対だ」と言う人が出てきて、それは、つまり、反射なんですね。日ごろ、どういう思考のクセを持っているかということで、そこに自由はないんです。
 だから、一週間前のその人の反射のパターンを調べていくと、一週間後のその人の投票がわかる。「ほら、あなたは賛成にまわったでしょう」というのが、わかってしまうわけですね。
 面白いのは、投票した後に投票所の外でもう一回「あなたはなぜ賛成したのですか?」とアンケートを取るんです。すると、皆もっともらしいことを言うんですね。こういう理由だから賛成であると。でも、面白いのは、誰一人として「ただの反射です」と思っている人はいないんです。本当は反射なのに(笑)。
 ここで重要なことが、その反射パターンが何で決まってくるかというと、その人がどういう人生経験を積んできたか、どういう「来歴」かなんです。
 経験をすることで来歴が書き換わるから、今度調べたら、自ら氷に連想がいくかもしれません。反射のパターンが変わるわけです。
 それで、先ほど小池さんが仰っていた、ダメな命令をスルーして、良いものだけを選択していく経験を積んでいくと、反射のパターンとして、良いものが出る割合が多くなるというお話です。これは科学的には証明されていませんが、でも、そうでないと価値観の形成とか、モラルの形成とか、意思決定の根拠が説明できないんですよ。なので、そうなんだと推測します(笑)。
小池 あるいは、人格を組み替えていくトレーニングの根拠などもなくなりますね。
池谷 そうですね。そう考えていくと、結局、良い経験をするとか、良い環境に囲まれるとか、あるいは周りにいる人が良いと思うだけでも変わってくると思うんです。そういうことによって、脳は強化学習されていくのではないか。
 人間脳行動はほとんどが脳の反射によるもので、本当は自由意志なんてないんだ、自由否定しかないんだと言うと、そのことを悲しいととらえる人がとても多くて、逆に私は衝撃を受けたんですけどね。
 反射しかないんだったら、その反射を鍛えれば良い、むしろやることが限られて良いじゃないのかなと思うんですが。

メビウスの輪=無我の悟り
小池 おっしゃる通りだと思います。それで、仏道的にこの自由のなさを徹底的に認知して心にフィードバックしていくと、だんだん自我が崩壊していくんですね。
 きた情報に対して「これは脳の台本だ」と思ったのも台本、台本と認識したから抜け出たと考えたのも台本・・・というふうに繰り返しスピードを上げて見ていくと「自我」と思い込んでいたハリボテがボディブローを浴びていって、最後にパーンと壊れる瞬間まで、ずっと嫌な気分なんです。自我が崩壊しますから。
 でも、パーンと壊れた瞬間に「あ、台本に乗っ取られるなんて本当にバカバカしい」となって、自分が奴隷にされているという認識を通じて、台本を丁寧に選べるようになっていく。
 結局、自分の心というものは奴隷にすぎないのだとわかると、自分を操っているものに革命を起こすことができるというのが、仏道の「無我の悟り」ということなんです。
 ご著書では、自由意志はないとも言えるけれど、その裏舞台を知らなければ自由でいられる、とも書かれていますね。
池谷 そこがすごく大切だと思うんですよ。
小池 仏道では、自由のなさのいやーな感じを徹底的に見つめていくと、本当の自由にいきつくと考えているんです。メビウスの輪のように。
池谷 本当は自由はないけれど、自由を感じさせてもらっているのだとわかって生きているのと、最初から自分が自由だと盲信していて、その感覚の中だけで生きているのとは、まったく意味が違うと思うんですよ。言ってみれば、メビウスの輪を巡った経験があるかないか、ということですね。
 さらに考えれば、自由を否定しているのも、それはそもそも自由なのかというところまでいってしまって、よくわからなくなりますね。ただそうやって一度自己崩壊させたことのある人と、ない人では、まったく違うと思います。
小池 反応様式が変わりますね。自分の裏舞台を見ながら全体図を設計する感じでしょうか。