京都こみち日記

こみちを歩く こみちに迷う 日々のこと

 出す

 ここにきて初めて篠笛の鯉沼先生(今習っている原先生の師匠)のCD演奏と一緒に(真似て)吹いてみて、自分が今までいかに息(呼吸)をケチって、出し惜しみして笛を吹いていたかに、これまた初めて気づいた。鯉沼先生の演奏は比較的女性的で、クールで抑え気味だと聴いていたが、一緒に吹いてみるとそんなふうには感じず、この大師匠でも、マックスの音量と音程で情熱的に吹いておられるのがびしびし伝わってきた。当然、わたくしもマックス超えの呼吸を使って、テンションも音量も最大限超えに上げて↑吹かなければ、到底真似ることなんてできない。
 これまでは、暑苦しくなく、さらりと流れるように吹きたいと思い、なおかつ、途中で息がなくなったら困るし・・うるさいかもしれんし・・間違ったらかなんし・・と様々な見栄をはって、テンションも呼吸もかなり自重して、八割方くらいの押さえ気味に吹いてきたが、そんなことを意識するのは100年早かった。初心者級(稽古を始めて2年)の今はまだ、練習時であろうが人前であろうが発表会であろうが、常に自分の最大限のエナジーを出し尽くす勢いで、吹いて吹いて吹きまくって吹きたおして吹き散らかさなければならない時期なのであった。無我夢中でやること、それが許される、それがベストな練習方法といえる期間なのだ。この無我を繰り返すうちにやがて余分な力が抜けて、自然にさらりと流れるように吹けるようになってくる、はずだ。それに、息(空気)は吐ききらないと吸えない(入ってこない)。これは水泳の息継ぎの時に経験していた感覚だったのに、身体がすっかり忘れていた。10年間も泳いでいたのに、完全には身についていなかったのだな〜。
 この自分の見栄っぱりでケチな出し惜しみ行為に気づくのに2年間もかかったのはちょっと恥ずかしいが、40もとうの昔に超えた今となっては恥ずかしがっている時間さえも惜しいので、気づいた今から出し尽くすことを決意し実行する。グループで演奏する「山ざくら」も、わたくしがソロ担当する前奏部分からマックスの力を出し尽くして吹きます。ついてきてください。