京都こみち日記

こみちを歩く こみちに迷う 日々のこと

高砂

 高砂や この浦舟に帆を上げて この浦舟に帆を上げて

 幼少のみぎりより、お経や長唄(歌舞伎の音楽)を耳にする、篠笛で民謡や祭囃子を吹くなどと巡っていったら、50を前にして謡(うたい)にぶち当たり、年末に高砂を謡う「能楽大連吟(だいれんぎん)」という催しに今年初めて参加することにした。振り返れば四半世紀以上前の学生の頃からか、年末に第九を歌うとか聴くという音楽会が流行り出し、わたくしも卒業論文を書き進めるのと同時進行で半年間くらいソプラノパートの稽古をして、卒論提出の2〜3週間前の苦悩の時期に、わざわざ第九「歓喜の歌」をヤケクソで合唱した覚えがあるが、まぁいうなればそれの邦楽バージョンである。今夜はその初回説明会で、いきなり冒頭の部分の前後を能楽師の先生について謡ったが、やはり第九のドイツ語を歌うよりもすんなりと身体に入る。心身ともに落ち着く。生まれ育ちそのままの、素の心身でいける、これぞ日本のロックやしってな感じ。今後、稽古やCDで聴いた高砂の謡が、寝ている間も脳内をグルグル巡って全然寝た気がせず、一気に老け込むような日々が始まるような気がしないでもないが、12月25日、東本願寺能舞台での本番が楽しみや〜。