京都こみち日記

こみちを歩く こみちに迷う 日々のこと

全身全霊奏法

 諸先生方の模範演奏やライブ演奏、CD等をじっくり聴くと、一曲一曲何事かを決意したかのように全身全霊で演奏しておられるということが、最近やっとわたくしの心身で感じられるようになってきた。まず、体格のよい先生に「全力で吹いていますか?」と質問してみると「全、、力、というのともちょっとちがうかなー」と仰り、けっして体格や体力に任せた力技(ちからわざ)で吹いているわけではない、というのはその通りだった。そこで力ではなく、全身全霊と表現するのが、多少大袈裟な感もあるが、適当なような気がしてきたわけである。
 試しにわたくしも、まず頭で技術的な事などをあれこれ考えることを止めて、ただ演奏をしてみるだけ、として吹いてみた。何度もそんな感じで試す中、全霊を傾けると全身が応えてくれるような感覚があったような瞬間が、自室で1回だけあった。しかしこれはたまたまという感じで、特に人前では全然そんなわけにいかない。さらに考えることは、全身や全霊を丸出しにする事は比較的簡単だということ。たがを外して丸出し、垂れ流すだけではなくて、それらをどんなふうに抑制し調整していくのか、その行為に演奏者の応分が自然と表われるのかもしれない。それは最近流行りの?自己アピールとか尊重されるべき個性とやらを差すのでもない。一瞬一瞬の、冷静と情熱、緻密さと大胆さのバランス、フロー、タイミングを霊性をもって感じつつ、最も身近な自然である身体をもって、竹(自然)に発する音波と空間(宇宙)とを調和させていくということだ。果てしない。底知れない。